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東京地方裁判所八王子支部 昭和51年(わ)1754号 判決 1982年1月22日

本籍

東京都港区六本木七丁目三番地

住居

同都小平市小川町一丁目五〇二番地一七

牛乳販売業

志水義侑

昭和一〇年七月二四日生

右の者に対する公務執行妨害、傷害被告事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役四月に処する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都小平市小川町一丁目五〇二番地一七の自宅に店舗を構え、牛乳販売業を営んでいるものであるが、かねて東村山税務署長に対して行った昭和四八年分の所得税の修正申告について同署長に更正の請求を行っていたものであるところ、昭和五一年五月二六日午後三時四五分ころ、右被告人方店舗において、同税務署所得税第一部門所属の上席国税調査官安岡貫一(当時五二歳)が、右請求にかかる課税標準について調査し、これを決定するため、被告人の営業の家族従業者である妻の志水康子に対し営業内容について質問し、検査のため営業に関する資料の提示を促していた際、同調査官に対し、同人の胸倉を両手でつかんで同所に積まれていたプラスチック製の空箱の上に同人を押し倒し、更に同人の身体を押して店舗外へ連れ出し、その胸倉をつかんで店舗横に積まれていたプラスチック製の箱に同人を押し付け、また居宅玄関前において胸倉をつかんで玄関扉に同人を押し付ける暴行を加え、もって同人の前記職務の執行を妨害すると共に、右暴行により同人に全治まで約二週間を要する右腕関節部・右中指各挫創、右前腕部打撲(皮下出血)の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)

一  公判調書(第九回ないし第一三回)中の証人安岡貫一の各供述部分

一  公判調書(第一五回ないし第一八回)中の証人志水康子の各供述部分及び同証人の当公判廷における供述

一  証人船越祥郎及び同渡辺勝の当公判廷における各供述

一  公判調書(第八回)中の証人佐々正達及び同伊五澤誠の各供述部分

一  当裁判所の証人黒岩義之に対する尋問調書

一  当裁判所の検証調書及び司法警察員作成の検証調書

一  奥泉二士夫作成の写真帳(「写真撮影報告書」と題するもの)

一  司法警察員作成の写真撮影報告書二通

一  渡辺勝撮影の写真六葉

一  医師佐々正達作成の診断書

一  労働者災害補償保険患者診療録の写し

一  渡辺満子作成の鑑定書

一  押収してあるハンカチ一枚(昭和五三年押第一七号の一)

一  四八年分の所得税の確定申告書(控用)、四八年分の所得税の修正申告書二通(提出用、控用各一通)及び昭和四八年分所得税の更正の請求書の控え

一  公判調書(第一九回ないし第二二回)中の被告人の各供述部分及び同人の当公判廷における供述

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い傷害罪について定めた懲役刑で処断することとし、その刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から一年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

被告人は本件公訴事実を全面的に争い、弁護人も、種々主張して被告人が無罪である旨主張するが、当裁判所は、前記のとおり両罪とも成立するものと認める。以下弁護人の主張する諸点について判断し、もって右認定の理由を述べる(なお、弁護人は、本件の公訴が公訴権を濫用して提起されたもので、不適法として棄却されるべきであるとも主張するが、後述するところに照らし、それが公訴権を濫用した極限的に不当なものとは到底いえないから、本件は公訴棄却の裁判をすべき場合には当たらない。)。

一  本件に至る経過

前掲各証拠に、証人中西圭介の当公判廷における供述、公判調書(第一四、第一五回)中の証人奥泉二士夫の供述部分、被告人作成の四八年度分営業収支計算書、押収してある昭和四八年度仕入明細書一冊(昭和五四年押第一六号の1)、同年度売上計算書一冊(同号の2)及び同年度卸請求書一冊(同号の3)の併せると、次のような事実を認めることができる。

被告人は、昭和四四年ころから東京都小平市鷹の台において牛乳販売業を営み、昭和四八年ころ同市小川町一丁目五〇二番地一七の現住居に店舗を移し、事件のあった昭和五一年五月当時も同所において、引き続き牛乳販売業を営んでいたものである。被告人は、昭和四八年三月一三日、昭和四七年分の所得税の確定申告をしたが、翌昭和四八年三月一三日、昭和四八年分の所得税の確定申告書を東村山税務署に提出すると共に、昭和四七年分の確定申告に仕入れ額の一部計上もれがあったとして、営業所得額及び税額について更正を求める請求書を提出した。そこで同税務署では、右更正の請求の調査と併せ、昭和四八年分の確定申告についても調査することとし、同税務署所得税第三部門所属の国税調査官中西圭介が、昭和四九年九月ころから昭和五〇年一月にかけてその調査を担当し実施した。まず同調査官は、その調査の一環として、昭和四九年九月ころ被告人方を訪れ、被告人及びその妻志水康子(みちこ)に対し、右更正の請求の調査に必要だとして帳簿等の書類の提示を要請し、その後も何度か臨店ないし電話により康子に対し右提示を求め、被告人側においてもこれに応じる旨答えていたが、暫くして昭和四七年分の大口の卸し先に対する請求書の控えが提出されただけであったので、同調査官は、やむなく仕入先や販売先等に対する反面調査を実施した。しかし、両年とも、仕入れ額は把握できたが、売上げ額は把握できなかったので、結局、内部資料の調査を経て、類似同業者の平均的な原価率(差益率)及び所得率を得て、売上げ及び所得を推計により算出する方法を取ることとなった。その結果、同調査官は、昭和四七年分については請求を一部認めて更正すべきであるが、昭和四八年分については申告所得額が過少であると判断し、修正申告書を提出してもらおうと、昭和五〇年一月二四日被告人方に電話し、応対に出た妻の康子に対し、調査の結果が出たので税務署まで来てほしい旨求めた。これに対し康子は、同女が来署する旨答えたが、同調査官は、被告人本人とは最初に一度数分間立ち話をしただけであったのに対し、その後の連絡・質問等は専ら妻の康子に対してしていたことや、これまでの経過から同女自身被告人の営業全般について細部まで認識していると判断されたことなどから、同女でも足りると考え、来署の日時を翌一月二五日午前と約束した。翌日午前同女が東村山税務署に来署したので、中西調査官が、同女に対し、昭和四七年分については一部被告人の請求を認めて更正するが、昭和四八年分については申告に係る所得金額が過少であることを具体的な数字をあげて説明し、被告人提出の同年度分確定申告書に示された売上金額に前記のような類似の同業者の平均的所得率を乗じた金額を所得金額とする修正申告書を提出するように求めたところ、同女はこれに応じ、同調査官が各数字を書き入れた修正申告書に被告人の住所・氏名を書き、更に指印してこれを提出した。

これに対し被告人は、中西調査官の右措置を不満とし、自己が会員となっている小平民主商工会に相談したりした上、昭和五〇年三月一三日、右修正申告について、それが自主申告でないこと及び康子に申告を委任したことがないことを理由として、昭和四八年分所得税の更正の請求書を東村山税務署に提出した。その請求の内容は、右修正申告の営業所得金額及び税額を、当初の確定申告の際の額に戻すというものであった。そこで同税務署では、二名の係官が前後して右更正の請求の調査に当ったが更正の請求書には各経費の費目別金額(減価償却費の内訳を含む)等を示した「四八年度分営業収支計算書」が添付され、同年一一月下旬ころには、係官の求めに対し、被告人から、仕入れ明細書(森永乳業株式会社作成の請求書ないし請求明細書、昭和五四年押第一六号の1)、売上計算書(いずれも被告人作成の荒利益計算書、経費内訳表、各月別の売上げを種類・単価・数量によって示した計算書、同号の2)、卸し先に対する請求書の控えの一部(同号の3の一部)及び経費に関する領収書が提出されたものの、右営業収支計算書と売上計算書(同号の2)とは、売上げや経費の額に相違があったりした上、被告人の計算に係る売上げの数字を裏付ける具体的な資料は前記の卸し先に対する請求書の控えのみであったことから、被告人の主張する売上げや所得の額の当否を検討することができないまま月日が経過していた。

しかるところ、右調査は、同年一二月に同税務署所得税第一部門所属の上席国税調査官安岡貫一(本件当時五二歳)が担当するところとなった。しかし、同調査官も、前係官と同様に、既に提出されている前記資料からだけでは売上げや所得金額を確定できないため、翌昭和五一年一月、更に資料の提示を要請しようと被告人方を訪れた。しかし、被告人は留守で、応対に出た康子に被告人方から預っていた前記各資料を返還しただけでその日は辞去し、同月下旬再び被告人方を訪れたところ、被告人が在宅したので、被告人の計算に係る売上げの数字の基礎となった資料(いわゆる原始資料)の存否を尋ねると、あるとのことであった。そこで同調査官がその資料の提示を要請したところ、被告人は一旦は不満を示したものの、結局提出することを了承し、都合のよい日を連絡する旨述べたが、その後被告人方からは何の連絡もなかった。そこで、同調査官は、その後再び臨店して康子に資料の提示を要請し、また度々電話をしたりしたが、被告人は常に不在で、誰も電話に出ないこともあり、その後何の資料の提示もないまま時間が経過していた。そこで安岡調査官は、本件の六日前の同年五月二〇日、遅れている資料の提示を更に促そうと被告人方を訪れた。すると、丁度康子が牛乳を車に積んでいるところだったので、資料が揃っているかどうか尋ねたところ、忙しくてまだであるとの返事であり、かつ、同女も配達に出かける様子であったので、その日はそれで被告人方を辞去した。しかし、調査に着手して以来既に相当の月日が経過していたので、同調査官は、同月二六日、その直前に康子から調査は六月にしてほしい旨の申入れがなされていたが、改めて資料の早期提示を促すと共に、被告人に対し営業上の事柄につき種々質問しようと、午後三時半ころ被告人方を訪れた。なお、当日被告人方を訪れることについて、同調査官と被告人側との間に特段の約束はなく、また、訪れることについて同調査官は何の事前通知もしていなかった。

ところで、被告人の妻康子は、同年五月二六日当時妊娠六か月の状態にあった(出産予定日は同年八月二五日)が、同年一月ころから出血があったりして流産の危険もあり、床につくこともしばしばであったところ、三月に入ってからは重症の妊娠中毒症を併発し、血圧も高く(概ね一五〇ないし一六〇-九〇ないし一一〇)、尿蛋白・浮腫も出て、医師よりできるだけ安静にしているように指導されていた。前述の五月二〇日の日も、仕事には出ないで自宅にいたところ、得意先から急ぎの注文があり、被告人の帰りを待っていると遅くなるので、比較的体調がよかったことから、やむなく牛乳を自ら届けるため車に積み込んでいにところに、安岡調査官が来合わせたものであった。

ところで、前述のように、五月二六日午後三時半ころ、安岡調査官が被告人方店舗北側の出入口から中に入ると、康子が応対に出たので、被告人が在宅かどうか尋ねたところ、留守であるとの返事であった(しかし、実際は被告人は食事を終わり、一休みしているところであった。)。そこで同調査官は、やむなく、同年一月に返還した前記資料の預り証を同女から返してもらった後、店舗のコンクリート土間の上に双方立ったまま、康子に対し、メモを取りながら得意先・自動販売機設置場所・使用人等について質問したり、資料のある場所を聞いたりその早期提示を促したりしていた。その間、同女から調査は六月にしてほしいとの申し出がなされたが、同調査官は、従前の経過に照らしそのようなことをしていると更に調査が遅延してしまうと考え、それを制し、質問等を続行し、同女もこれに応じて質問に答えていた。同調査官は、この日は被告人を待とうと考えていたので、暫くして営業に関する質問を終わってメモを鞄の中にしまい、途中康子から体の調子が思わしくないとの話が出たこともあり、そろそろ同女との話は打ち切って、外で待たせてもらおうと考えながら、資料を早く出してもらいたいなどと話しをしていたところ、同調査官が被告人かたを訪れてから約一五分程経過した午後三時四五分ころ、店舗奥の自宅から突然被告人が現われた。

二  傷害罪の成否

証人安岡貫一は公判廷において、右認定の事実経過の後、店舗内に現われた被告人から三箇所において暴行を受けて受傷したとして、概ね本件公訴事実に沿う内容の供述をするのに対し、被告人と証人志水康子は同じく公判廷において、被告人が公訴事実の如き行為は一切していない旨これを全面的に否定する供述をしている。そこで検討すると、前項掲記の関係各証拠によれば、安岡調査官が暴行を受けたか否かの問題の時間を除いたその後の経過として、(一)安岡は被告人及び康子と共に玄関から被告人方階下六畳居間に上がり、同所において康子から少なくとも右手中指先端部の新しい受傷部分(安岡が東村山税務署に帰った際認められた傷と同一箇所)に赤チンキを塗ってもらったこと、(二)被告人は同室において安岡に対し、康子が妊娠中で流産のおそれがあるとして、かなり立腹した様子で、安岡の行為について大きな声で抗議したので、安岡はこれに対し、被告人の気持ちを鎮めるため、そんなつもりはなかったがもし康子の体に障ったとすればすまないことをした、などと謝ったこと、(三)しかし安岡は同室においては何ら質問したり資料の提示を求めることなく、午後四時過ぎころ被告人方を辞去したこと、(四)安岡は午後五時前ころまっすぐ東村山税務署に帰り、直ちに事の顛末を上司に報告したこと、(五)その際同人には右手首内側付近に三箇所(但し、一箇所は右手親指の下方掌の部分のごく軽い傷)、右手中指の爪の右下部分に一箇所傷があり、いずれも赤チンキが塗られ、更に右前腕部内側に皮下出血が認められたので、午後五時二〇分ころ、同税務署船越祥郎総務課長の指示で右受傷部分の写真撮影がなされたこと、(六)その後安岡は直ちに車で一五分くらいの佐々病院に赴き、午後六時ころ当直医の診療を受け、翌二七日に診療を受けた同病院の佐々正達医師により、同人の傷害は全治二週間を要する右腕関節部及び右中指各挫創、右前腕打撲(皮下出血)と診断されたこと、以上の事実を認定することができる。

以上の前後の事実経過を前提に安岡証言をみると、同人の証言内容には、確かに、弁護人の指摘するような記憶のあいまいな点、供述内容が不明確な点、首尾一貫しないと思われる点、捜査段階の供述と明らかに異なる点などが各所に認められ、一見するとその証言内容の信憑性に疑問があるかの如くである。しかし、総じて同人の証言態度は率直であって、自己の主張をかたくなに貫こうとする態度は認められず、その時々の自己の記憶・印象・感覚に忠実といえる。またその証言する内容についてみると、同人が康子と話をしている最中に被告人が突然店舗に出て来た際の模様や、被告人に胸倉をつかまれてプラスチック製空箱の上に押し倒された状況、更には店舗横や玄関扉前で暴行を受けた状況、被告人方六畳間での被告人の言動等、同人が証言する具体的内容は、先に認定した前後の状況ともよく符合して、事実経過として自然である。しかも、受傷したとする状況を述べる部分は、同人が帰署直後船越総務課長に語った内容によく符合するといえる。他方、弁護人指摘の諸点について考えると、まず店舗内での暴行について、安岡証人の表現が「突き倒す」、「突き放す」、「押し倒す」などと転々としているのは、同人の言葉の選択がやや軽率であること、及び物事を的確な言葉で表現する能力にやや難点があることに起因するものと解される。プラスチック製の空箱の上に倒されてどのような姿勢になったのかとの点については、主尋問に対する証言と反対尋問に対するそれとは一見矛盾するように見えるが、これは尋問の仕方の相違から来たものと考えられ、両者は必ずしも矛盾するものとはいえない。この点につき安岡証人が弁護人の反対尋問に対して供述する内容は、確かに、同人が表現しようとする具体的状況を一読して思い浮かべることが容易ではない。しかし、証言全体との関連で考えると、右のような混乱は、それが同人の全く予期しない咄嗟の出来事であったこと、前記のとおり表現能力ないし言葉の選択の能力にやや難点があること、記憶力も強いとはいえないこと、更には状況把握の能力に些かの問題があることなどが競合した結果とみるのが妥当であり、弁護人主張のように、同人が体験していないことをその時々の都合により想像に基づいて述べた結果とみるのは相当でない。更に、安岡が右手を突っ込んだとする空箱の種類が明確でないこと、それが積んであった高さについて証言と捜査段階の供述とが明らかに異なること、二度目に胸倉をつかまれて暴行を受けたとする場所が、捜査官に対する供述、捜査段階の検証における指示説明、公判証言のそれぞれにおいて異なることなどについても、同様に同人の状況把握の能力や記憶力に難点があることの結果であると解するのが相当であり、これらの点はいずれも証言の根幹部分の信憑性を左右するものとは解されない。結局以上によれば、同人の証言中被告人から暴行を受けた模様を供述する部分は、これを信用することができる。よって、同人の証言にその余の関係各証拠を併せると、被告人及び康子の否定にもかかわらず、被告人は店舗に出て来るや、安岡調査官に対し、その胸倉をつかんで同所に積まれていたプラスチック製の空箱の上に同人を押し倒し、更に同人の身体を押して店舗外に連れ出し、胸倉をつかんで店舗横に積まれていたプラスチック製の箱に同人を押し付け、また居宅玄関前に至り同様胸倉をつかんで玄関扉に同人を押し付ける暴行を加えたことを認めることができる。

そして、安岡の証言によれば、同人の前記各傷害が被告人に暴行を受けた間に生じたものであることは明らかであることろ、右暴行の態様・程度、傷害の部位・程度に、安岡が店舗内で暴行を受けた直後に右中指挫創に気づいていること(同人の証言によって認める。)をも併せ考えると、右各傷害は、同人が店舗内で被告人に空箱の上に押し倒されて右手をその中に突っ込んだことにより生じたものと認めることができる。

三  公務執行妨害罪の成否

検察官は、本件当日の安岡調査官の康子に対する調査行為が所得税法二三四条一項の質問検査権に基づく適法な職務執行であったと主張するのに対し、弁護人は、同調査官の行為がいずれの点より見ても違法なものであり、かつ、被告人が店舗に出て来た時には調査行為は既に終了していて公務性を喪失していたことを理由に、公務執行妨害罪は成立しないと主張する。しかし、前認定のとおり、暴行を受けた際同調査官は検査のための資料の早期提示を促していたものであって、依然職務遂行中であったことは明らかであるから、以下ではその余の点について検討する。

1  まず、弁護人は、本件が更正の請求に係る調査の事案であることについて、次のとおり主張する。すなわち、更正の請求は異議申立てと同様に実質において納税者の救済制度であるから、その性質に即し、被調査者に対し強制を伴う所得税法二三四条一項の質問検査に対する受忍義務を課することは許されず、調査の対象範囲も更正の請求の理由の当否ないし係争点に限定されるというべきである。従って、当日の安岡調査官の調査行為に対しては、公務執行妨害罪の成立する余地はなく、しかも、本件更正の請求の理由は、康子に申告を委任したことがないこと、及び右が自主申告でないことの二点であったにもかかわらず、当日安岡調査官は右の点に全く触れずに全面的な洗い直しの調査に及んだものであるから、調査の許される範囲を逸脱したものとして違法である。更に修正申告を慫慂する基となった(反面)調査が既に行われていたはずであるから、今回更に反復して調査することは納税者に過度の負担を課すことになり、資料の提示の強要は許されない、というのである。

しかしながら、更正の請求の手続は、税額の減額を求める点においてその限りで納税者救済の側面を有するが、国税通則法の規定から明らかなように、それはあくまでも申告納税方式による税額の確定手続中の一つの手続であり、更正の請求があれば税務署長は必ず請求に係る課税標準等について調査し、更正すべきか否かを決しなければならず、その調査はまさに所得税法二三四条一項にいう「所得税に関する調査」といえるから、権限ある税務職員とその調査について必要があれば同条項の質問検査権を行使し得るものと解するのが相当である。すなわち、所得税の確定については、申告納税方式が採られ、納税者は第一次的に自らの申告により税額を確定する権限を有し、義務を負っているが、国家を財政的に支える租税は、国民経済又は国民生活の調和的発展という公共の福祉の実現のために使われるいわば共同費用の負担というべきもので、ある一人の納税者の過少な納税は、その過少な分だけ他の納税者の負担を相対的に増加させる結果となるから、各納税者は申告等に関し適正な租税債権債務関係の実現に積極的誠実に関与協力すべき責任を負担しているものといわなければならない。従ってまた、各納税者は自己の申告に係る課税標準等の計算内容に責任を持ち、必要があればそれを説明する義務を一般的に負っているものというべきで、税務職員の質問検査に対する納税義務者の受忍義務は、右のような意義を有するものと解すべきものである。本件のような更正の請求の場合には、その請求者の税額の確定及びそのための調査の権限及び義務が税務官庁に付与されており、他方、更正の請求をした者は、前の申告よりもその請求に係る課税標準等の方が正しいと主張している訳であるから、右法律関係に照らし、右請求者はその請求内容について説明し、もって税務官庁のなす税額確定の手続に協力すべき責任を負担しているものといわなければならない。右の意味において、税務職員は更正の請求に係る調査についても、必要かつ相当な範囲内で所得税法二三四条一項の質問検査権を行使することができるものと解するのが相当である。

本件の場合には、前記一に認定したとおり、四八年度分営業収支計算書や売上計算書(昭和五四年押第一六号の2)によって、売上げや経費の額等について被告人から具体的詳細な主張があったものの、右各計算書の数字に食い違いがあったりした上、その裏付けとなる資料の提示が不十分で、その当否を決し難い状況であったから、これらの点について税務職員として質問検査権を行使することに、格別の違法不当な点はないというべきである。

次に、調査事項の違法をいう点については、後記4に述べるとおり、確かに康子が申告行為を被告人から明示的に委されていたとは認め難く、中西調査官の行為は妥当性に疑問が残るが、被告人は不満ながらも康子の行為を追認し修正申告の効力は承認した上、更正の請求書記載の所得額の方が正しいとして右請求に及んだもので、その後の経過に照らし、右請求の「係争点」は、請求に係る課税標準等が正しいか否かという点に絞られていたものと認めるのが相当であるから、更正の請求書に示された理由につき調査をしなかったからといって、これを違法と目すべきものではない。また、本件の場合には、その内容が所得金額の移動を伴うものであったため、適正な課税標準-所得金額の決定のためには、必然的に被告人の営業関し売上げ、仕入れ、その他の経費等につき調査をする必要があったものと認められ、この点について違法はない。

更に、昭和四七年分の所得税の更正の請求についての調査の際に、併せて昭和四八年分についても一定の調査が税務署側においてなされていたこと(但し、このことが被告人側に告知されていたとは認め難い。)は前認定のとおりである。しかし、その一事をもって、本件の更正の請求にあたり更に調査をすることは違法とはいえないし、本件につき被告人側に資料の提示を求めること自体も、被告人側に過重な負担を与えるものとは認められない。よって、弁護人の主張はいずれも理由がない。

2  次に弁護人は、質問検査権を規定する所得税法二三四条一項の規定が、これに対する不答弁や検査拒否などを処罰する同法二四二条八号の規定と相俟って、憲法三一条、三五条一項、三八条一項、一三条に違反して無効であるから、安岡調査官の当日の質問等の調査行為は職務執行の適法性を欠く、と主張する。

まず第一に、憲法三一条違反の点について、弁護人は、すべての国民を対象とする行政調査たる質問検査に罰則を伴わせること自体、質問検査が奏功しない場合の公益の損失の非緊急性、非重大性に比し、個人のプライバシー等の私益を不合理に侵害するものであって許されないものである上、所得税法二四二条八号の刑は余りにも苛酷であって、このような刑罰と結びついた同法二三四条一項の規定は憲法三一条に違反する、と主張する。しかし、適正公平な課税の実現を図るという質問検査制度の目的に照らし、所得税法二四二条八号掲記の不答弁・検査拒否等の行為を処罰することが不合理とはいえないし、同条所定の刑が著しく不合理・不均衡であるともいえない(最高裁判所昭和四五年(あ)第二三三九号同四八年七月一〇日第三小法廷決定・刑集二七巻七号一二〇五頁参照)から、弁護人の主張は理由がない。

次に、所得税法の右各規定が憲法三五条一項、三八条一項に違反するとの弁護人の主張については、質問検査制度の目的・必要性にかんがみれば、対象者に対する強制は間接的で、直接的強制と同視すべき程強度のものではないし、右の程度の強制が右制度の公益性に比して著しく均衡を失したものともいえないから、所得税法二三四条一項、二四二条八号の質問検査は憲法三五条一項の法意に反するものではなく、また憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」の「強要」にもあたらない(最高裁判所昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁参照)。

更に弁護人は、質問検査は必然的に営業の秘密や個人の私生活上の自由に属する領域に深く立ち入らざるを得ないから、厳格な要件が課せられない限り、憲法一三条に保障された幸福追求の権利の一つとしてのプライバシーの権利を不当に侵害すことになり、違憲であると主張する。しかし、後述するように(後記4)、右質問検査は、それが客観的に必要な場合に、所得税法二三四条一項所定の限られた事項につき相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当と認められる範囲内で許容されるもので、右制度の目的に照らし不必要過大に相手方にプライバシーを侵害するものではないから、憲法一三条に違反するとはいえない。

3  安岡調査官が本件当日被告人方店舗において現実に質問等の調査行為をした相手方は、納税義務者たる被告人本人ではなく、その妻の康子であった。この点について、検察官が、所得税法二三四条一項各号に列挙されている納税義務者等の従業者等も、同法二四四条一項により質問検査の対象とされていると解すべきで、康子は被告人の営業の家族従業者であるから、同女も質問検査の対象者となると主張するのに対し、弁護人は次のとおり主張する。すなわち、所得税法二四四条一項の規定は、要するに法人又は人の使用人・従業者等が税法規定に違反した行為をしたときは行為者を処罰するほか、その法人又は人をも処罰することを規定する両罰規定に過ぎず、この規定によって質問検査に対する受忍義務を負う者の範囲を拡大することは、租税法律主義並びに罪刑法定主義に違背し、許されない。ただ、事業主から委任があれば、税務職員はその従業者等に対し間接強制を伴った質問検査をなし得ると解されるが、被告人の妻の康子がこれに応ずることを被告人から委任されていた事実はなく、同女は被告人の営業につき部分的、補助的な労働奉仕をしていたに過ぎないから、同女に対しては同法二三四条一項の質問検査権の行使は許されない、というのである。

しかしながら、この点について、当裁判所は、所得税法二四四条一項に「………法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務又は財産に関して第二三八条から第二四二条まで………の違反行為をしたときは、その行為者を罰するほか」とある部分は、同法二三四条一項との関係では、単に法人等の事業主を処罰するための前提要件となっているのみでなく、右従業者等が同法二四二条八号に定める不答弁・検査拒否等の行為をした場合にはその従業者等を処罰する旨の処罰規定でもあると解する。従って、右従業者等は同法二四四条一項の規定によって、二四二条八号に掲げられた行為をしてはならない義務、すなわち二三四条一項の質問検査を受忍すべき義務を負うこととなり、結局右質問検査の対象者となるものと解するのが相当である。なぜなら、第一には、同法二四四条一項が二四二条八号の規定を引用しているのは明らかで、文理上は右のように解するのが自然である。第二に、実質的にみても、そのように解するのが、ほとんどすべての事業活動が使用人等を用いて行われる現在の事業実態に合致し、しかも、右使用人等を質問検査の相手方としても、そのこと自体が事業主に過重な負担を強いるともいえないし、使用人等自身も、質問検査の相手方となることによって一定の負担を受けるものの、質問検査の対象事項は専ら事業主の事業に関する事柄であるから、右の程度の負担は質問検査制度の目的・必要性に照らし、やむを得ない程度の負担というべきだからである。

これを本件について見ると、被告人の公判供述、志水康子及び安岡貫一の各証言によると、康子が本件当時被告人の営む牛乳販売業の家族従業者であったこと、しかも主婦としての日常の家事に従事するほかは、同女はほぼ全日に渡って被告人と作業を分担し、その営業内容の全般について細部まで知っていたことが認められるので、安岡調査官が同女に対し本件当日被告人の営業内容について質問するなどの調査行為をしたこと自体には、何ら違法な点は認められない。弁護人の主張は理由がない。

4  弁護人は、本件の調査全体が行政上の信義則に違反している上、安岡調査官の当日の調査行為もその態様・方法において適正を欠き被告人側の私益を著しく不当に侵害したもので、いずれにしても違法な職務執行であると主張する。まず、右信義則違反の主張の要旨は、次のとおりである。すなわち、本件更正の請求の対象となった修正申告は、中西調査官が、詐術的な言辞で康子を税務署に呼び出し、被告人の委任がないのを承知の上で、同女が申告関係の事情を充分理解していないのに乗じ、昭和四七年分の更正の請求を認め過払分を返す文書であると誤信させて提出させたもので、詐術的な慫慂に基づくものであった。しかも、その内容は、充分な調査を経ていない全く恣意的なものであった。このように違法に慫慂された修正申告に対し、その点を理由として更正の請求がなされたのであるから、税務署としてはそのような違法があったかどうかを調査の上、更正の請求を認めて確定申告の内容に戻すべきなのに、本件ではこの点の調査は全くせずに、収支の全面に渡って原始資料による裏付けを要求する徹底執拗な調査をしたもので、それ自体自主申告制度のもとでの税務行政上の信義に著しく違反する違法な調査である、というのである。また、当日の調査行為の態様・方法が違法とする主張の要旨は、次のとおりである。すなわち、被告人は康子を通し、前日の夕刻と当日の朝、調査は六月五日過ぎに受けたい旨税務署に連絡し、安岡調査官も右申し出を承知していたのであるから、それに合理的な理由がある以上、殊更にこれを無視し、何の事前通知もなく臨店すること自体既に違法である。しかも康子は、当時妊娠六か月の体で妊娠中毒症を起こし流産の危険があり、安静を要し、日常の家事も全くできない状態であった。しかるに、安岡調査官は、同女が流産のおそれのあることを述べて調査は六月にして欲しいと重ねて希望しているのに、これを無視し、二〇分以上にも渡って、コンクリートの土間に立たせたままで応対を強要したもので、本件調査は、同女の生命・健康を脅かし、私生活の平穏を著しく害し、同女の労働がなければ営業を維持できない被告人方の実情に照らし、その営業活動に致命的な打撃を与えるおそれのあるものであった。更に、当日の調査内容は、原始資料の強要と、既に分かりきった事項に関する質問などであって、前述のような健康状態にある康子に対し無理を押してきく程の内容ではない。以上の諸点により、当日の調査行為は明白に違法であるというのである。

そこで、まず、信義則違反の主張について検討すると、前認定のとおり、康子は、中西調査官から昭和四七年分の更正の請求は一部認められることを告げられた後、昭和四八年分につき申告所得額が過少であることを数字をあげて説明された上、同調査官の求めに応じ、本件修正申告書に署名指印したものであるところ、前記一掲記の関係各証拠に国税不服審判所長作成の裁決書の謄本を併せると、被告人は昭和五〇年一月二五日のうちに康子が持ち帰った修正申告書の控えを見、また同女の話を聞き、同女が昭和四八年分の所得金額及び税額を増額する修正申告書に署名し提出してしまったことを知ったが、それ以降更正の請求の前後を通じ被告人又は康子がこの点について税務署側に抗議や苦情を申し入れたことはないこと、被告人は右修正申告についてその効力を直接争うのではなく、税額の減額を求める法形式である更正の請求を選択していること、その調査にあたり何度か来訪し又は電話をかけてきた安岡調査官に対しても、被告人側がこの点について苦情を述べたり調査を求めたりしたことはなく、昭和五〇年一一月下旬には係官の求めに応じ、請求に係る課税標準等を決するための資料を集めあるいは作成して提出していること、その後の審査請求(本件後、昭和五二年三月一〇日付で本件更正の請求につき更正すべき理由がない旨の通知処分がなされ、更に、同年九月二六日付で右処分に対する異議申立てにつき棄却の決定処分がなされた。)においても右の点は争点となっていないことなどの事実が認められるので、以上の各事実をも併せ考えると、中西調査官の言により修正申告書を昭和四七年分の税金の還付に必要な書類と誤信して提出した旨の同女の証言はにわかに採用できず、同女は昭和四八年分の所得額及び税額を増額変更する申告書であることを十分認識した上で、修正申告書に署名指印したものであり、かつ、被告人も不満ながらもやむを得ないものとして康子の行為を追認して更正の請求に及び、その調査に際しても資料を税務署に提出するなどして、請求に係る課税標準が適正だと認められるのを希望していたものと認めるのが相当である。また、修正申告に至る経過や、審査請求において修正申告の内容が維持されていることに照らし、弁護人の主張するようにその内容が恣意的なものであったとはいえない。しかし、康子が被告人の営業全般を十分把握している家族従業者であるとはいえ、税務職員として、営業主を代理できるかどうか必ずしも明らかでないその妻に、推計の結果を内容とする修正申告書を提出させるのは、妥当性に疑問がない訳ではない。しかし、右に述べた事情を前提とすれば、税務職員において被告人の第一次的申告権限を違法に侵害したとはいえず、本件において、税務署側が更正の請求の内容を資料で裏付けることを求めたり、質問したりすることが信義則に反するということはできない。

次に、安岡調査官の当日の調査行為の適否について検討する。所得税法二三四条一項の規定による質問検査権の行使は、適正公平な課税の実現という重要な公益に資するものではあるが、他方では、罰則で間接的心理的に受忍を強制することによって、そもそも相手方の行動の自由を一定限度制約するほか、場合によっては相手方や事業主の私生活の平穏や事業活動を一定限度阻害する上、質問検査の対象となる事項はそれらの者の秘密やプライバシーに関する事柄であるから、質問検査にあたっては、その相手方の私的利益に対し手続・実体の両面において慎重な配慮がなされなければならない。すなわち、同条項にいう必要性とは、当該調査の目的、調査すべき事項、申告の体裁内容、相手方の事業の形態、調査の進捗状況等の諸般の事情にかんがみ、客観的に是認され得るものでなければならず、かつ、右権限は、右のような私的利益との衡量において社会通念上相当な限度内で行使されなければならない。ただ、質問検査の範囲・程度・時期(事前通知の要否の点も含む)・場所・方法等の実体上・手続上の実施の細目については、現行法上規定がないので、一応は、権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられているものと解するほかはない。しかし、これらの実施の細目が、質問検査の必要性との相関関係において社会通念上相当な範囲内の適正なものでなければならないのはいうまでもなく、質問検査が不相当ないし過重に相手方の私的利益を侵害するような場合には、これを拒んだとしても所得税法二四二条八号の違反罪を構成せず、更には、刑法上保護に値する職務の適法性を欠くに至る場合もあると解される。

これを本件についてみると、まず質問検査の必要性については、前記1に述べたとおり、調査するについて被告人側に売上げ額等を裏付ける資料の提示を求めて検査し、営業内容について質問する客観的必要性が一般的にはあったと認められる。しかし、安岡調査官は、被告人側から調査時期について希望の申し出があったにもかかわらず、何の事前通知もなく、本件当日被告人方を訪れたものであった。もとより、質問検査の日時が相手方の意向に当然に拘束されるものではないが、相手方の私生活、事業活動等の私益は最大限に尊重されなければならないのは当然で、調査日時の事前通知は、質問検査制度の目的とする公益と相手方の利益とを均衡させる一つの有効かつ適切な方法といえる。本件では、被告人側から調査時期について希望の申し出があったという点はともかく、事前通知をしないで臨店するのもやむを得ない特段の事情があったとは認められず、この点において、安岡調査官の行為は妥当でなかったといわなければならない。しかも、被告人方では、前記一で認定したように、康子は妊娠六か月の体で流産の心配もあって体調が完全ではなく、また、被告人方の営業について、かねて同女が分担していた仕事が主として被告人の負担となり、毎日がきわめて多忙な状況であったと認められる。加えて、調査時期についての希望を税務署側に伝えてあることで、被告人側では調査に対する準備・段取りも何らされていなかったと考えられ、他方、本件では質問検査の客観的必要性は一般的には認められるものの、特に緊急を要する事情があったとは認められないので、本件は、一定時間を要する質問検査に対しては、被告人・康子とも、これを断わり延期を求めても、正当な理由に基づくものとして、所得税法二四二条八号の違反罪を構成しない場合であったというべきである。

ところが本件では、康子は一旦は延期を求めたものの、結局は安岡調査官の質問等に対し応答していたものである。しかし、このように、法律上の受忍義務者が具体的な事情により質問検査に応ずることを罰則によって強制はされない場合でもその者がこれを拒まないで応じたときには、その質問検査が公務執行妨害罪の「公務」に該当しないとか、保護に値しない「違法」な公務執行である、と直ちに解するのは相当でない。すなわち、税務職員が質問検査に応ずることを相手方に無理に強要した場合や、一応は相手方の承諾があっても、制度の目的に照らし過大に私益を侵害していると認められる場合には、もとより公務の適法性を欠くものと解すべきであるが、そうでない場合には、それに応ずるか否かを相手方の選択に委ねて然るべきであり、拒否せずに任意に応じた場合にはその者にはなお真実答弁義務等があり、その質問検査は依然刑法上保護される適法な公務たる性格を失わないものと解するのが相当である。

本件においては、店舗内において康子から調査は六月にしてほしいとの希望が述べられたものの、安岡調査官はこれを制して質問等をしたものであるが、安岡及び康子の各証言によれば、同女の応答内容は的確で自発的であり、知人に関する質問には些か腹を立てたり、被告人の健康状態について話をしたりしており、後述のように当時の康子の健康は比較的安定した状態にあったこととも併せ考えると、同調査官が康子に対し応答を無理に強要したとは解されず、同女は不満ながらも、わざわざ訪れた同調査官に対する善意と遠慮の気持ちから、任意に応答していたものと認めるのが相当である。また、質問等の態様をみると、安岡調査官が被告人方を訪れてから暴行を受けるまでの時間は概ね一五分程度であったが、その間には、安岡が康子から出されたカン入りコーヒーを飲んだり、康子が一月に返還を受けた資料の預り証を自宅から取って来て返したり、来店する者があったりして、店舗内での実質的な質問応答などの時間は概ね一〇分内外であったと認められ、かつ、被告人の暴行は、同調査官が営業内容に関する質問を終わり、資料の早期提示を促しながら、康子の健康状態を考慮して、同女との話はそろそろ打ち切って被告人の帰りを待とうと考えていた矢先のことであった。また、康子の健康状態については、同女の五月二〇日の行動(前記一参照)や、当日の安岡調査官とのやりとりの状況、その後外を回って玄関から居間に上がり、同調査官が帰るまでの同女の行動・様子に加え、店舗内での応答中にも、体の具合が悪いとの話は出ているものの、立っていられないとか、坐らせてほしいとかの申し出はなかったこと(安岡証言によって認める。)をも考慮すると、同女の健康は、流産の心配もやや遠のき、比較的安定した状態であったと認められる。そこでこれらの事情を総合すると、安岡調査官の当日の調査行為は、被告人側の事情に対する配慮に不十分な点があり、殊に康子に対する質問等の方法についてもより妥当な方法があったと思われるが、康子の健康に脅威を与えたり、被告人方の営業活動や私生活の平穏を不相応に害するようなものではなかったと認めるのが相当である。これを要するに、当日の調査は康子としてはこれを正当に拒み得る場合であっが、同女は不満ながらも任意にこれに応じたもので、安岡調査官が無理にこれを強要したり、被告人及び康子の私的利益を不相応に侵害したものではなかったから、妥当性に疑問の点はあるものの、同調査官の当日の調査行為はなお適法な職務執行の範囲内のものであったと認められる。

(公判出席検察官及び弁護人)

検察官 相川俊明

弁護人(弁論をした弁護人)

鈴木亜英、安田叡、窪田之喜、林勝彦

(裁判官 岩田好二)

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